大人気アニメ「鬼滅の刃」の主題歌「紅蓮華」の作曲者である草野華余子さん。
作曲家として一躍有名となり、最近はテレビ出演の機会も増えていますね!
草野華余子さんは関西大学の軽音楽部での活動を経て現在作曲家として活躍されています。
いつから音楽を始めて、どのような活動を経て「紅蓮華」が誕生したのか気になりますよね!
この記事では、草野華余子さんの出身大学や高校について、さらに紅蓮華が誕生するまでの音楽活動の経歴についてまとめました。
目次
草野華余子の学歴
草野華余子の出身大学と高校について紹介しますね。
引用元:Instagram
草野華余子の出身大学は?
引用元:みんなの大学情報
草野華余子さんの出身大学は、関西大学で学部は社会学部です。
関西大学は大阪府吹田市にある私立大学で、通称は「関大」、偏差値は55-60と言われています。
1886年に設立された歴史ある大学で、多くの有名人が関西大学出身なのですよ!
- bird(歌手)
- 矢井田瞳(歌手)
- 宮根誠司(アナウンサー)
- 桂三枝(落語家)
- 後藤淳平(お笑い芸人・ジャルジャル)
- 山里亮太(お笑い芸人・南海キャンディーズ)
- ゆりやんレトリィバァ(お笑い芸人)
- 高橋大輔(フィギュアスケート選手)
- 織田信成(フィギュアスケート選手)
- 西加奈子(小説家)
歌手や芸人だけでなく、アナウンサーやスポーツ選手を多く輩出しているようです。
草野華余子さんが関西大学に進学したのは、矢井田瞳さんやbirdさんが関西大学出身だった事がきっかけだったそうです!
草野華余子さんは、作曲家として活躍しているのに社会学部出身?と思いますが、草野さんは大学時代に軽音楽部に所属して音楽活動をしていました。
草野華余子の出身高校は?
草野華余子さんは出身高校を公表はしていません。
しかし、草野さんの2015年のtwitterにこのようなツイートがありました!
大阪府で音楽コースがある高校は帝塚山学院高等学校があり、ここの可能性が高いとされています!
帝塚山高校は大阪市住吉区にある私立高校で、偏差値は51-61です。
学科は普通科のみであり、音楽コース以外には学院・私文コース、美術コース、英語国際コースがあるようです。
草野華余子のプロフィール
草野華余子さんのプロフィールをまとめました。
引用元:Instagram
- 名前:草野華余子(くさの かよこ)
- 生年月日:1984年2月25日(2021年現在37歳)
- 出身地:大阪府
- 職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家
- ジャンル:J-POP、ロック、アニメソング
- 活動期間:2007年-
- レーベル:ダブリューエージェンシー合同会社
- 事務所①:ソニーミュージックパブリッシング(作家として)
- 事務所②:CAT entertainment(アーティストとして)
音楽活動はいつから?【紅蓮華誕生までの活動経歴まとめ】
草野華余子さんの音楽活動はいつ頃から始まり、どの様な活動を経て「紅蓮華」の作曲に至ったのでしょうか?
幼少期からの音楽活動の経歴をまとめました。
幼少期【5歳から作曲を始める】
草野華余子さんは、クラシックに精通した家庭に長女として生まれました。
幼少期から音楽がすぐ近くにある環境で育った草野さんが、初めて曲をつくったのはなんと5歳の頃だったと言います!
幼少期のエピソードがこちらです。
妹に頼まれて、12体のぬいぐるみに1曲ずつ曲をつくったのが始まりですね。カセットデッキを2台使って、1台にメロディーを、もう1台に伴奏を録音して。幼いながらも結構本格的にやっていました。それからは習慣的に曲をつくるようになりましたね。小さい頃は内気で、学校では『アニメオタク』と仲間外れにされて寂しい思いをしていたので、家に帰ってから誰に聴かせるでもない曲をつくっていました。
引用元:関西大学HP
大学時代【軽音楽部での活動】
関西大学へ進学後は、軽音楽部に入り様々な音楽に触れます。
関西大学を選んだ理由も、矢井田瞳やbirdなど有名アーティストの存在に惹かれたから、という音楽に関係する理由でした。
軽音楽部Ⅰ部で出会った仲間たちは、みんな個性的でした。それぞれ好きなジャンルはバラバラ。だからって他ジャンルの音楽を聴かない訳じゃなく、むしろ共有し合えるような環境でした。おかげでロックやアシッドジャズ、ポップスと、知らなかった音楽に次々出合って、音楽の幅がどんどん広がりました。私の個性も受け入れてもらって、すごく居心地良かったですね。だから大学時代の思い出といえば、学業じゃなくて、軽音楽部のことばっかり(笑)。スタジオでの練習や学園祭でのライブ出演は忘れられない経験ですし、当時の友人とは今でもよく連絡をとっています。
引用元:関西大学HP
学業の思い出より軽音楽部の思い出ばかりとおっしゃっていますから、音楽漬けの生活だったのでしょうね。
関西大学の特軽音楽部Ⅰ部と言えば、ストイックに活動する部として有名だそうですよ。
卒業後にデビュー【順調ではない音楽活動の時期】
草野華余子さんは2006年に大学を卒業し、翌年から「カヨコ」として活動を開始します。
大阪を拠点にシンガーソングライターとして本格的に活動を始め、交友関係は広がっていく一方で、活動そのものが順調だったわけではなかったようです。
音楽活動だけでは食べていけなくて、生活のためにアルバイトもしていました。ぎりぎりの毎日の中、27歳の頃にポリープを発症して、一時的に声が出なくなったんです。そのときは結構落ち込んで、年齢的にも体調的にももう引き際かなと、音楽をやめようとしていました。だけど、周りの音楽関係者の皆さんが『これだけの曲が書けるのだから勿体無い』と引き止めてくれたんです。
引用元:関西大学HP
音楽を諦めようとしていた時期もあったのですね!
現在【Lisaとの出会いから「紅蓮華」誕生へ】
引用元:exciteニュース
草野華余子さんとLiSAさんとの出会いは、ある時草野さんの音楽仲間から「アニソン歌手のLiSAが楽曲を募集している」という話を耳にした事から始まります。
元々草野さんはLiSAの大ファンだったようで、全身全霊で作曲に臨んだと言います。
きっとこれが最後のチャンスなんだろうな、と思いました。もしダメだったらきっぱり諦める。そのつもりで、全身全霊を込めて作曲に臨みました。このときに生まれた楽曲『DOCTOR』が採用されて、そこから作曲家としての仕事が入るようになったんです
引用元:関西大学HP
自分の大好きなアーティストのために命をかけて作った曲が採用されるなんて感動ですよね!
この出会いがきっかけとなり「紅蓮華」誕生につながっていきます。
紅蓮華をきっかけに名前を知ってもらえたことは誇りに思いますけど、それでも『自分の曲だ』とは全く思いません。曲をつくったのは私ですが、詞をつけたのはLiSAさん。Bメロから入る構成も、LiSAさんのチームから提案されたものです。他にも、『鬼滅の刃』のスタッフさんたちやSonyのプロデューサーさんなど、数え切れない人が紅蓮華に関わっています。その全員が、同じ熱量で曲と向き合ったからこそ、これだけ多くの人に愛されたんだと思います。
引用元:関西大学HP
2019年には草野さんの誕生日である2月25日を機に活動名を「カヨコ」から本名の「草野華余子」に改名し、売れっ子作曲家として忙しく活動しています。
引用元:Instagram
この記事では、草野華余子さんの出身大学や高校について、さらに紅蓮華が誕生するまでの音楽活動の経歴についてまとめました。
今後の草野華余子さんの活躍がますます楽しみですね!